静岡県島田市の剣道団体 誠勇館です 竹刀稽古と形稽古を平行して稽古しています 正々堂々の剣道を目標に大人から子供まで正しく仲良く楽しく修業中 毎週火曜 木曜夜7時から8時半まで島田樟誠高校二階武道場にて稽古しています 随時 館員募集しております 会費 月1000円 場所 静岡県島田市伊太2075-1 島田樟誠高校 連絡先 杉浦 08036699071 館員以外にも稽古したい方は出稽古という形で歓迎いたします お気軽にお越し下さい
2018年2月26日月曜日
第63回 島田誠勇館 文武不岐
文武不岐(ぶんぶふき)という言葉があります。
私の師匠である井上義彦範士が重要な教えの一つとしてよく話して下さいました
YouTubeの動画で太極拳の名人と総合格闘家の試合?というか果たし合いを見ました。
結果は二十秒で太極拳の名人が格闘家に敗れるというものです。
開始直後、格闘家の放ったパンチで倒れた太極拳の選手。
そこを上からパンチの連打でTKO で終了。
試合ついてコメントがいくつもありましたが、その一つに日本の剣道も太極拳とおなじく実戦的ではないので弱いのでは?というものがありました。
真剣を使わないから実戦的ではない、という文もありました。
剣道は弱い?弱いとは思いませんが、色々と考えてしまいました。
剣道は剣術より派生した武道です。
我々剣道家の目的は剣の理法の修練による人間形成であります。
竹刀稽古と木刀や刃引きをつかった形の稽古をするのが一般的です。
日本剣道形で一本目は相手を一刀両断にするものです。
二本目は相手の腕を切り落とすが命までは奪わないというもの。
三本目は相手を一切傷つける事なく、勝負を決するというものです。
そして三本目こそが剣道の極意と言われています。
日本剣道形を制定したかつての剣道家の先生方の心がこの三本に込められていると井上範士はよく話して下さいました。
ここで文武不岐の話もどります。
以下は師の著書より抜粋いたしますが、
『現在は学問と書きますが、中世、近世には学文と書かれました。
文を学び問う、これが学問でありますが、その文とは聖人賢者の思想、行動、教訓を書き表したものを文と言います。
人間が人間として、正しく、間違いのない生き方をするためには、この文を読み、分からぬところを師に問い、自分自信を顧みないとならないのです』
師が亡くなってから数年がたちますが、剣道の修業で一番大切な事を忘れないようにしなければと、あの動画やコメントをみて思い出す事ができました。
武の部分だけを剣道として考えていくと剣道は逆に弱くなる…
文を学んでこそ人間として正しく強くなる事ができる。
倒れた相手に審判が止めるまで容赦なく攻撃を続けるというのは本当に強いのでしょうか。
誠勇館や樟誠剣道部では相手が倒れても追い打ちを禁じています。
ライン際の攻防も押し出さず押し出されずと指導しています。
本当に強ければそのような卑怯な事をしなくても勝てるはず。
師の著書より
『ただ相手を打ちさえすればよいとするものは野獣の闘争に等しく、我武者羅の攻めは気勢激しくとも理法に悖り、正々堂々の気位とは申せません。
気勢の位を高めなければならないのです。』
気勢とは『ヤァー!と自分自身の邪気を払いう事』邪気を払い清い心で稽古に望めとも教わりました。
師の生前、私が『先生の本は頭の悪い僕には難しいですよ』というと師匠は
『そうかぁ?、頭の悪い人にも分かりやすく書いてあるんだがなぁ』と笑っていましたが、今はその難しい著書を読み、かつての講話動画を見直して、師匠の教えを忘れないようにしていかなければと思いました。
思わぬ所から剣道の目的を再確認できた日でありました。
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